批判力の大切さ

泉野塾塾長です。

 再来年実施される共通テストのプレテスト英国数すべて解いてみました。 

 率直な感想は、「理念」が伝わってこないということです。

 「思考力」「論理力」「表現力」って・・・この課題はずっと何十年も同じではないのですか?

 現行のセンター試験よりもある意味簡単です。難しいとおっしゃっている方の何人が実際解いているのか 疑問です。

 私はこのテストならばほぼ完全にマニュアル化する自信があります。それくらいパターン化されているように思います。

 数学を例にとります。

 問題を太郎さんと花子さんの対話形式にして二人の会話が誘導と問題を兼ねています。

 必要な知識レベルも高くないですし。対話や一般的な事象から知識を拾う練習をするだけです。特に新たな思考力や論理力が必要とされているとは思えません。

 対話形式にしたり、建築基準法など社会で使われていることを持ち出したりすると思考力を試している風に見えるだけです。

 東大の阿部公彦教授は英語の外部検定導入は利権やら、実効性を根拠に痛烈に新共通テストを批判されています。

 と、共通テストプレを批判してみました。

 現代社会において私が今書いたような文は嫌われる傾向にあります。
 
 「ディする」と言われます。決してディスリスペクトしているわけではないのですがそう言われます。

 「批判」と言う言葉がこんなにもネガティブな意味に受け取られる時代なのですかね。

「あんたらは私のいうことを黙って聞いてりゃいいんだ」ということでしょうか。

 少しでも自分の考えが批判されると人格の問題にすり替えて人格攻撃で返す。こういうところからは何も生まれてきません。


  「思考力」「論理力」「読解力」を伸ばす。確かに大事ですね。しかしそれの基本になるのは
 
     「正しく批判する姿勢と力です。」


  正しい批判なくしてどうやって物事を考えるのですか?
 
 それでは正しい批判とは何か? 人格とは無関係に言動のみを根拠をもって評価することです。

  誰かが何かを言いますね。 まず、そこに関心を持ちます。そしてその人が言いたいことをコンパクトに理解する努力をします。その際に大事なことは疑うことでしょう。疑わないということは、関心がない、考えていないのと同じことです。理解できたと思ったら自分なりの考えに照らし合わせて価値判断をします。完全に一致することはまれでしょう?
 
 その評価の違いを相手に伝える。この一連のプロセスのどこにディスリスペクトの要素がありますか。

 私は国語の二次試験の直前の記述対策の授業では、臨場感を経験していただくために、受験生にその場で前年度の主に旧帝の国語の入試問題を選んでもらってヨーイドンで一緒に問題を解きます。

 大学が模範答案を公表してしないもので、各予備校の答案も全部異なる標準的な問題です。したがって文中の言葉を抜き出しておしまいという類のものではありません。

私は、受験生より早く解いて、ホワイトボードに答案を書きます。受験生が本気ですから私も本気で解きます。

 全員が解き終わったときに「私の解答を批判してくださいと」ホワイトボードを指して言いますと、皆さ ん驚いた顔で、「え?」と(笑)

 受験生:「批判なんてできません」
  
  私:「なぜに?」

 受験生:「先生が間違うわけがないでしょう?」
 

 私:「そんなことはないでしょう。批判すらできないということは私の解答は完璧なのですね?そうですか、じゃあ、私は天狗になってもいいのですね?今の受験生のトップクラスの実力もこの程度かと思っていいんですね。」 
 
 受験生:「いやです」

(それはいやなんだ)(笑)

 私:「それならば無理やりにでも批判しましょうよ」

 というやり取りがあって、批判がようやく出てきます。

  批判と言う名の「自分なりの考え」です。

 受験生からやっとでてきた批判のほとんどが素晴らしいものでした。

 その意見交換を経て、借り物ではない各自の合格答案が出来上がっていきます。

  人格否定なしの批判。

 文部科学省も推進しているのに教育関係者は「批判」が相当お嫌いなのでしょう。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/047/siryo/__icsFiles/afieldfile/2012/09/20/1325670_03.pdf

 円周率が3でもよいという話に対してはあれだけ大騒ぎをしたのに、より大きな改革である今回は何にも意見が出てこないのは、この批判力がないからだと思います。当事者意識すらないのではないですか。
  
 私は教育関係のあるブログで簡単な整数問題の間違いを指摘しただけなのに、「どうせニートだろう?」など、社会的弱者を引き合いにして短時間に数人の名前で徹底的に人格攻撃をされて閉口しことがあります。客観的な批判と単なる誹謗中傷とは全く別のものです。

 その方がどういう方か存じあげませんが、ブログ上でのその言動に対しては非常に残念なものだと思いました。

  人を重んずるということは人の批判に耳を傾け、人の意見を真剣に聞き自分なりの意見を相手に伝え、持っている価値観を交換し合うということであると考えています。

 
   哲学者のサルトルは大学の講義を聞くとき、ノートを取らなかったそうです。

  理由は、「ノートを取ると批判的に聞く態度を損ねるから」

  かっこいいでしょ? 真似はしないでくださいね。(笑)

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